|
川口フミコ さま
さきほど辰紀さんから、天寿をまっとうして旅立たれたというしらせをうけました。
お元気なうちにお会いすることはついにありませんでした。
亮と奈津子を連れて柳井のおうちにお邪魔したのは23年前のこと。
帰省中の辰紀さん一家と合流して大歓待をうけました。
「田舎だからなんにもないよ」とおっしゃりながら、朝早くから食事の用意をしていただきました。
2度目の夏、おひるのそうめんを食べているときに、プレスリーが死んだというニュースが流れました。
柳井から、形の悪いなすびやら、かぼちゃやら、さぞかし水やりがたいへんだろうと思われるやさいが送られてきました。
春には、菜の花や水仙の花といっしょにあさりが、山ほど送られてきました。
わたし達がもてるような重さではありませんでした。
しじみとみまごうほどの小さい、しかし丸々とした、殻よりも身のほうがおおきいやわらかい、あじのいいあさり貝でした。
毎年春になると、天神のまさきでは「柳井のあさり」が語り草にならないことはありません。
そのあさりも送ってこなくなって久しくなっていました。
なくなられる前日、辰紀さんから、60歳になったというメールが届きました。
すると今年は紀元は2660年かと、思ったばっかりでした。
息子の還暦の翌日に旅立たれたのですね。
激動の20世紀は、90年を生きたお母さんにとっても激動の人生でした。
ご主人を早くなくされて、ご苦労されたと聞いています。
ご主人の分まで長生きされて、子供の還暦まで親子関係を続けられたというのは、ある意味では、これ以上ないしあわせではないでしょうか。
かつて朝鮮から引き上げて五島に帰られた。
幼い辰紀さんの手を引いて峠を越えられたのは50数年まえの原風景ですが、いまは1人で峠を越えてください。
いずれわたくしたちも、まちがいなく、あとから峠を越えていきますから。
そのときは又、みごとなささがきごぼうのあじごはんと、あさりを食べさせてください.。
しばらくのあいだ、おわかれいたします。
ありがとうございました。
あなたの生きられた20世紀のおわりに
川崎 武司
加代子
|
|